『相容れない』





憎しみと愛しさ。

正しきと悪しきもの。

裁きと奢り。

私の思考は単純明快な癖に複雑さを装っていた。脆い心の壁は誰かが取り払ってくれるという、安易な甘えがお前に通用しない事だけを私はただただ願い続けていただけかもしれない。

 

 

 



「まさかお前が再びこの寮に戻って来る日が来るとはな。」


たまたま寮のロビーへと降りてきたその男に、私は呟いた。ソファーに座る私と荒垣以外の部員たちはまだ戻って来てはいない。

「予想外、って顔だな。」
「……まあ、いささか。しかし、明彦が長い間それを望んでいたからな。」

指して気に止める風でもない様子で私の斜め右に荒垣は座った。その表情はいつもと変わらず不機嫌そうだ。

「別にアキの為じゃねぇよ。ったく……それ相応の理由がありゃ満足か?」
「いいや、別に構わなかったさ。お前が戻って来ようとこまいと、私はな。」

彼が戻って来ても以前の様にはきっと居られないのは頭では理解をしていた。私自身の何かがこの男とこれ以上関わってはいけないと警告している。もう今以上にこの心が掻き乱されるのは避けたかった。


「……相変わらずキツいな、テメェ。」


バツが悪いのか益々荒垣の眉間に皺が寄るのが安易に見て取れる。

「私だってわざとじゃない。ただ気になるのは急に戻って来た理由だ。」

この男に聞きたい本当の事はもっと別のところにあったが、あえて覆い隠す。根が優しい部分は知っていたし、何より私達を巻き込みたくない不器用な気遣いが根底にあるのもわかっていた。

「しかも、疑り深いのも変わんねぇときた。」

だが、私は聞かなくてはいけないと義務に背中を押された。ぎゅっと自分の指を握り締める。決意を決め立ち上がり、荒垣に問い掛ける。

「答えてもらおう、ここに戻って来た理由(わけ)を。」
「あ、理由だと?……今のテメェが知ったところで何も変わんねぇよ。」

私を一瞥して溜め息と共に荒垣が答えた。

「変わらない?変わるさ。私は部長として知る権利がある。お前に理由が無いなら居られても私が困る。」

戻って来た理由を言われなくても、昔の付き合いのせいか感じ取ってはいた。
明彦程唯一無二の存在ではなくても、話してくれるとどこか期待していたのだろうか。

「……理由ならある。が、お前に話す気はさらさらねぇ。」
「しらばっくれるな!じゃあ何故、退部したんだ。お前は仲間で世界の為に戦うんじゃなかったのか!」



荒垣の引き離す様な低い声がロビーに響いた。どうにもならない刺々しい虚無感が襲い、私を苛立たせる。信じていたからこそ悔しかった。

「っせぇ。一々大層なもので俺を縛る義務もねぇだろが!」

互いに言い合いしか出来ない私達は、いつからどこで道を違えてしまったのか。正しさが分からずに閉じこもってしまった私の酷い八つ当たりだ。この男は優しいから突き放してくれると信じているから、暴言を吐き出してしまえるのだ。

「戦えるのは私たちしか居ないんだぞ。みすみすお前はその能力を棒に振ったんだ。」

一歩間違えれば虚偽に聞こえたかもしれない。偽りでなくそれが事実だった。実際この能力を使えるのは私の知る限り私たちしかいない。荒垣が呆れた様な何かを諦めた様な態度で顔を上げる。

「大層立派な理由を翳すのは構わねぇ。だがよ、桐条。いくらテメェでもそこまで踏み込むんじゃねぇよ。
 だいたい理由を話しやがらないのはテメェも同じだろ。」
「隠してるつもりは最初から無い。」
「はー…はなっからイーブンと言う選択肢もねぇのか?……お話しにもなんねぇ。ちっとはその堅い頭を冷やせ。」

立ち上がると荒垣はその場を去ろうとしたが、私はその背中に苛立ちをぶつけることを選んだ。

「お前は私達の元を去った。その事実は如何にしたって覆らない。
 それをどう理解しろと言うんだ?私を裏切れるなら裏切ってみせれば良いさ。」

これは見え透いた嘘だ。心の奥底で裏切ってほしいなど本当は思ってはいない。

「……何?」

ふと荒垣の動きが止まる。彼からしてみれば不可解な事なのか怪訝そうな目で私を見る。冷やかな言葉を難なくあくまで冷静に私は振る舞った。

「お前が成し遂げようとしている事をみせてみろ。」

叶うなら研ぎ澄まされた剣の様な想いを私に突きつけてみせて欲しいんだ。

「ち、偉そうに言わなくとも……そうするならとっとそうしちまうさ。見てやがれ。」

これが伝えたかった事なのだろうか。 この男が悟っていたとしても尚、この手段を選んだのは私も痛い程承諾していたはずだ。

「そら、これが宣戦布告だ。……受け取れよ。」

そうして私の前髪を少しだけ掻き揚げた手で顎を掴むと、屈み込んだ荒垣は私の唇を奪った。それに答える様に私はつま先立つと、長くも狂おしい温度が伝わってきた。それでも酷く優しい宣戦布告の合図で。私は苦しくなった。息をするのもこの矛盾で満たされた心でさえも。私はいつから囚われ愛してしまったのだろうか、不器用で優し過ぎるこの男を。わずかにそれに気付くのは遅かった。失ってしまうだろうこの想いと共に。


「……大した自信だな。」

どちらともなく身体を離す。少しだけ離れてゆく温かさが名残惜しい。

「テメェは一筋縄じゃいかなねぇ奴だからな。」
「私も容赦なんかしない。覚悟しておけ。」
「ふん、せいぜい気張れ。」

その余裕がありすぎる肩に私は頭を凭れさせた。手で上着を握り占めると、急にこの男の匂いに懐かしさが込み上げてくる。いつか再び訪れた痛みが全身を支配した。これがきっと最後だから。くぐもった声を誰にもこの目の前の男にも聞かせまいと、私は強く歯をぐっと食いしばっ た。何もかも無くさないで行けたら良いと願う。


柔らかな温かい想い出が今にも崩れ落ちそうになった。




 

 

 

言い合いしながらも互いに想い合ってる二人の関係が理想です。

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