痛みを知らない子供みたいに貴方は幼い。
医務室にはどんな怪我にも対応出来る程度の、大抵の治療器具や薬品達が揃っていた。普段なら専属の医師が、誰かしら待機しているのだけど、今は私と彼しかいない。戦闘後の影響で医師達は皆、外の兵士達の治療へと駆り出されているのだ。しばらくは医務室に人が来る事はないだろう。椅子に大人しく腰掛け、治療を待っているロイドさんに、私は消毒液をつけた脱脂綿をそっと当てると、症状を聞いてみる。
「まだ痛みますか?」
ロイドさんの左頬と右目のすぐ下辺りには青く痣が残っている。どれも私が付けたものだった。誰から見ても、それらの傷は痛々しさを主張していた。
「うん、とっても痛っーいよ。どうして、そんな当たり前の事を聞くんだい?」
口の端を持ち上げ、ロイドさんは笑った顔で答える。
――言葉に詰まった。 むやみに痛みを訴えないこの人に、とっくに欠け落ちてしまった感情を期待してどうするというのか。彼はこれからもずっと、自分から痛みを訴える事はしないだろう――というのに。こちらが聞かないと認識しないかの様に、殴られても何事もなかった様に、振舞い続けるだけなのに。
「……他に痛いところはあります?」
込み上げた感情の迷路を抜け出そうとして、私の口から出てきた言葉は嫌に冷静に感じられた。人事みたいな感情を入れない冷たい言葉。
「ないよ、もう。だいたい人を殴っておいて、君がそう聞くのもおかしい話だねぇ。」
「手を挙げた事は済みませんでした。……でも、後悔なんてしてません。」
自分のした事は間違っていないと思うから、後悔なんてしていないはずだ。冷ややかな笑顔を送ると、ロイドさんはじっと不満げな顔した。生まれ出た憤りにセーブが効かなかった事に対しては、良くないと自分自身で分かっている。上司であるロイドさんに手を上げた事も。ましてや暴力で物事が解決するとは思っていない。ただ、ロイドさんは心の痛みを知らないから、私は痛みを知らしめようと反射的に手を上げてしまった。スザク君が来てからというものの、ロイドさんに対する憤りが尋常ではなくなってしまったのだろうか。今までこの人を咎める際に、耳たぶを引っ張る、額を小突く程度の仕打ちはしてきた。
「珍しいね。まだ怒ってるの?」
「そういう風にお聞きになるのは、理解して下さったんですよね?」
「うん、まぁ〜……痛い程ね。」
「これに懲りたら、あの様な発言は謹んで下さい。」
――良くない物言いさえ反省してくれれば、それで良いんだもの。 だいたい放っておけば済む話なのに、私はロイドさんを治療した。母親に似た心境に複雑な感情が付きまとう。
「それは約束できないなぁ。」
「おっしゃらないで下さい。」
「いたっ…!いひゃいよ、セシル君!…ごめんなさいっ!」
反省が見られない彼の言葉を突っぱね、強めに頬をつねる。
「いたた……でも、何で?」
「不謹慎だと言ってるんです。」
巡っては返される疑問に頭を抱えそうになる。目を僅かに見開くと、ロイドさんは私の顔をよく見ようとして、事も無さげに近寄ってきた。
「……何でさぁ、君の方が泣きそうなのー?殴られたのは僕の方なのに。」
「どうしたらこれがそう見えるんですか。」
――駄目だ。 今、この人に顔を向けられない。と背を向け、私は医務室の白い壁と向き合った。 目頭がどんどん微熱を帯びて、滲み出た水分が流れ出ようとしてくる。涙をふき取ろうと懸命に、 手で目尻を擦った。そんな事を知ってか知らずか、ロイドさんは肩に顎を乗せてきた。
「何と無ーく、ね。そう思っただけ。」
いつもこう。相手が怒っていても、ロイドさんはそんなのお構いなしに言葉を掛ける。言いたい事があれば言ってしまうこの人は、相手が憤りの感情を表しても、興味すら抱かない。
「ならさ、怒りを静める良い提案を一つあげようか?こっち見て、大嫌いだって言えば良いよ。」
聞き慣れていた間延びした声は、今日だけは張り詰めた空気を更に張り詰めさせた。怒りを静めようとしているか定かでない諭し方が、私を追い詰める。どう思っていようと、この人にとってはどうでも良い事の一つに違いない。今さっき彼を殴った手の甲に、痛みが走った気がして、私はきゅうと、片手でもう片方の手を握り締めた。
「知りません。ロイドさん、なんか。」
「あーあ、酷いなー。君がそうなったら僕、どうも出来ないんだ。」
途切れ途切れに出てくる台詞は、どれも強がりに似た意地みたいで。どうしたら伝わるんだろう、この憤りがこの人に。
すると、肩に乗っていた重さが急に無くなったと思うと、今度はぽんと、ロイドさんの手が私の頭のてっぺんに置かれた。それから、髪の毛をくしゃくしゃと撫で回した。整えた髪の毛は彼の手の動きのままに乱れていく。
「ね、セシル君。目、うさぎみたいに真っ赤っかだよ。」
そう言われて、驚きを隠せないまま振り返ると、いつものにんまりした笑顔があった。
「ウサギの目」と形容された私の目は、今見たら相当赤いに違いない。恥ずかしさがじわじわと込み上げる。熱を帯びる目はどうあっても隠せないのだ。私を撫でる手は宥めるように大きく、そこから愛しくて悲しい温かさを伝えた。 その細められた目から僅かに見える透き通るアイスブルーが、温かくも冷たい水の色に感じられる。 ささくれが抜ける様に。 今も外からの光を反射して、きらきらと蒼白く光っている。
珍しく超アンニュイセシルさん。 こういうときだけはちょっとだけロイドの方が大人の余裕で折れるといい。