真実と虚偽を隔てるもの

 

 

 

 

 

 




世界は今日も厳しく生温い。優しさは甘えなのか

 

迷いならいっそ捨ててしまえ

綻びを繕うことも忘れて

 

 

 

「今日は待機だ。明日の為に準備でもしておけ。」

 

整然とした口調で金髪の少年は命令を下した。彼より幾つも年上の女に向けて。目の前には彼の身長を軽く越す大柄な女が腕を組んで立っていた。笑ったような目付きですぐに少年の青い目をみて聞き返す。

 

「ぬ、なんと急に一日オフとは――さて、退屈じゃわい」

 

女は溜め息をついてどうしたものかと首を鳴らす。その仕草は普通の女性であれば美しい所作に見えたかもしれない。ただし鍛えぬかれた身体を持つ彼女ではさながら力を持て余している戦士のようだった。

 

「僕は『待機だ』と言ったろ。何かあればすぐ呼び出すからな」

「カカッ!わぁかっとるわい、社長」

 

自分達を『道具』として扱うのに生温いのではないのだろうか。部下である女は苦笑した。いつも通りに主の顔は冷酷さを装ってはいたが、発した声は態度とは裏腹に気遣いが溢れている。何も知らぬ者が聞いていたなら屈辱的な台詞に取れ、途端に激怒するかもしれない。ただ、彼女は解っていた。彼の気質と昨日の作戦中に左手首を痛めてしまったことが原因だと。


同伴していたこの少年が階段を踏み外しそうになった為に体を掴んで引き戻した。そうした方の手が上手く制御出来ずに捻る結果になったのだが。――ただそれだけの話だった。利き腕ではないのが不幸中の幸いで、任務には支障なさそうだ。つまりは、「今回の待機」というのは自分に対する少年なりの「謝罪」だったのだ。

 

――ただ「済まない」と一言、言えば良い話であろうに。

 

その不器用さがある意味少年らしさなのか。『仮面職人』の道具として仕える四苦の一人『老(エイジング)』は、幼さが残る横顔を興味深く眺めた。先ほど自分に待機を言い渡し終えた少年は、重厚な造りの机に座って書類を管理しようと勤しんでいる。どこか大人びた顔するのは環境のせいだろう。一般的観点から言うならこの年代の子供がこんな場所に身をおいてはならないと彼女は思った。少年より10歳ほど年上のエイジングからしてみれば、親心に似たものかもしれないが、どこか神経質で冷酷になれない彼のことだ。きっと自分の境遇は普通でないと理解しているだろう。もっともそれを進言する資格さえもなかったが。

 

ルキノ・B・カンパネルラ。


それが少年に先祖より何百年も受け継がれてきた名前。人前では、冷徹な表情を張り付け命を奪うことなど厭わない組織の主の顔をルキノは張り付けた。その癖、幾つもの影に襲われ拒絶を示す少年の顔は捨て切れずにいた。真っ当な道に戻る選択肢を塞ぐ様に有能な若き『仮面職人』の社長を演じ続ける。社員の誰もが真の姿と捉えたはずの『手品師のしての彼』は仮の姿だと皆に信じさせている。

 

――仮の姿はどちらなものか怪しいもんじゃわい。

 

エイジング自身も何度かルキノのショーを目にしたことがあった。華やかで客の拍手をもらう姿は本人にしてみても気分が悪くないものだろうが、それよりも違和感があったのはその端正な顔に浮かんだ表情。誇り高く穏やかな笑顔はとても『偽り』にしては出来過ぎていた。作られたものではない、年相応の顔。それに気付いてから。偽りはこちらで、向こうなのだルキノという人間が居るのは。

傷ついたり苦しんだりましてやこの命など皆、この少年の為なら惜しくないと覚悟は出来ていた。エイジングもいざという時が来たら、構わず自分を盾にするくらいの覚悟はある。彼女の属している集団はほぼそういう人間しかいない。

 

――ワシらも社長も似た様なものか。こりゃとんだ道化よ。

 

口に手を当て密かに笑いをこぼす。少年がそういった感情の類に良い顔をしないことは知っている。目的の為には犠牲を厭わないのではなく、何かをないがしろにしても目的を成し遂げる。そんな決意を胸に秘め、憐れみや情けを疎む彼は祖先の血を心から愛し、同時に心より憎んでいる。昔から受け継がれた憎しみと業に囚われ続け、いつしか張り付けた仮面が本当の姿かもしれないとも錯覚して。

 

「もうちっと自分を労る事をせい、社長。」

穏やかに笑いを称え、部屋の主である少年に声を掛けた。

 

 

「……急になんだ。」

 

また茶化されるのかと明らかにやつれた顔でルキノは不機嫌な声をあげ、エイジングを睨み付けた。彼の青白い顔と憂鬱な眼が何より前の出来事を語っている。大方、誰かの命を消しさった後だろう。彼の生気が普段より薄れているのを察したエイジングは先ほどから壁に寄り掛かり、近くで待機していたのだ。

 

「何、また吐いていたのか気になったもんでな。」

「下らない世間話をしたいだけなら帰れ。……僕は忙しい。生憎お前に依頼する仕事はないんだ。外で暇を潰してくれば良い。」

気分が悪いのが分かるなら放っておいてくれと付け加える。

「随分冷たい反応ではないかのう?社長がつまらなそうな顔をしておったから、世話焼いてやったというのに。」

 

要らぬ気を遣う部下に冷たい視線を投げ掛けたルキノだったが、対するエイジングは少しも楽しそうな表情を崩さないままだ。それ以上取り付く理由もなく頬杖を付いてルキノは書類に目を戻す。

 

――またか。飽きない奴だ。

 

たいていルキノは仕事を終えると、吐き気を催し数十分はトイレに籠る。その後、決まりきって廊下かもしくは自室で必ず彼女に出くわすのだ。そしていつも「随分と面白い体質よ」だの、「また吐いたのか」だのからかわれ、数時間は側に居座る。ただの偶然にしてはおかしいとは感じていたが、言及はしなかった。それこそエイジング本人に聞いたところで話を逸らされ、言いくるめられて終わりだろう。

 

「それこそ”余計”じゃないのか。」

「だがの、まだ若いのに眉間に皺ばかり寄せては体に響いてもおかしくないぞ?」

「心配ないだろ。必要ない無理はしてないよ。」

「ふっははは、そうかそうかっ!」

 

心配を掛けまいとする必死な態度に不意打ちされ、エイジングは大きな笑い声を上げた。
そうなる訳も理解出来ないルキノは眉間に皺を寄せる。

 

「……何がおかしい?」

「いやの、ならば止めてすまんかったな!社長の気の済むまでやればよかろう。」

「――っ…馬鹿、子供扱いは止めろ。」

 

少年の頭を覆うくらいに大きな手でわしわしと撫でてから、エイジングはソファーに腰を落ち着けることにした。今の彼には誰か側に付いてやった方が良いと考えたからだ。

 

――やれやれ、ワシも甘ちゃんかのう。

 

しばらく惚けたようにしていたルキノだったが、乱された髪を直しつつ彼女に尋ねる。

 

「何だ、帰らないのか?」

「ワシは待機なんじゃろ?――ここで暫く休ませてもらうわい。」

「……いびきでも掻いたらすぐに追い出すからな。」

「クカカッ…!そりゃちいと保証できんなあ!」

「……最悪だ……」

 

呆れて二の次も告げれなくなる。追い出すタイミングを失ったばかりかここにいる許可まで与えてしまった。これ以上言っても埒が明かないと判断し、すぐにルキノは机に向かうことに行動を切り換える。こちらには仕事が残っている。

 

 

 

 

――――――――――

数時間たった頃、頬にあたる光でルキノは目を覚ました。気付かない内にまどろんで眠ってしまったのか、空は日が落ち朱色に染まってしまっている。机につっぷしたまま部屋の中央を眺める。

 

――戻ったのか……?

 

昼ごろに居たはずの女の姿はソファーにはない。
そうルキノが確認した直後頭上から聞き慣れた声がかかる。

 

「もうギブアップとはだらしないものよのう。」

 

暫く寝顔を観察していたのかエイジングは彼の机に寄りかかっている。気配を感じさせないのは兵士としてさすがだと言いたいところだが、いささか趣味が悪いのではないか。ルキノはその視線から逃げようと、横に顔を逸らした。

 

「見て分かるだろ。……休憩だ」

「そうきたか。しおらしい社長も見物だわい。」

「馬鹿。静かにしててくれ。」

 

――可愛いと言ったら怒るかのう。

 

「すまんすまん」

 

軽く謝るとエイジングはルキノの頬をさすった。鍛えることが日課になっている女の手はごわついているものかと思われたが、女性という事を主張するかの様にしっとりしていた。頬を滑る手は往復をするりと繰り返す。

 

「……」

 

拒否しようにもルキノは気力が尽きていたので、彼女が成すがままにする。ぼんやり虚空を見つめる。飽きれば離すだろうと憶測したが、頬の次は金色の髪を一房摘んで弄ぶエイジングにルキノは疑問を抱いた。

 

「……なんだよ」

「社長も甘えたい時があるんじゃなあと思ってな。」

 

その一言で静かな沈黙が流れた。ルキノはすっと椅子から立ち上がる。少年の顔は心外だと言わんばかりに険しくなっていた。いつも通りに罵りと拒否を示されるだろうと、エイジングは悠然と言葉を待った。

 

「お前達は僕に仕える『兵器』に過ぎない」

「分かっとるわい。それを徹する理由ものう。」

「分かってるなら甘やかすな」

 

荒々しく言い捨て再び椅子に座り、机に顔を当てる。怒りに臆することもなくエイジングは続ける。

 

「社長が面白いことばかりするからの。例えば、今の状況もそうではないか?」

 

いつの間にかエイジングの手首はルキノの手に捕らえられていた。強く引っ張られるほどではないし、縋るように伸ばされた弱々しいものでもなかった。ただ掴まれただけだ。

 

「黙れ。」

 

言葉と行動がちぐはぐなのは自覚しているし、誰かに弱みを握られてならないとルキノはつねづね戒めている。けれど、悔しく事に弱さ故の意地が理性を引き止めてしまう。ふわりと掴まなかった方の広い手のひらで頭を撫ぜられた。力技が自慢の彼女にしてはいつになく優しく。それに甘んじてしまうあたりどうしようもない子供だとルキノは思う。また同時に安堵する自分がいる事実も腹立たしいものだった。

 

 

――もう何年か後には僕は大人になる。お前はきっと一緒にはいないんだ。

 

なんとなしにルキノは確信していた。今は『仮面職人』としての繋がりがある。しかし逆を言えばそれ以上のものはないのだ。社員達はルキノを慕ってくれているが、結局はそれを見返ることもしないで事を成すつもりでいた。だから彼にとっては始末が悪いものでしかなかった。

 

――甘いのはどっちだよ。

 

「どうした?また吐き気でもしたか?」

黙ったまま考え込むルキノを不思議に思ったのか、エイジングが声を掛けた。

 

「……違うよ。」

「なんじゃい。」

「お前のせいだ、エイジング。」

「そりゃすまんのう。」

 

酷い八つ当たりだ。ルキノは彼女ならすんなりと自分の怒りを受け流すと知っていた。だから、その優しさに甘えて撥ね付けた。

 

――くそ、こいつといい……他の奴等もだから嫌なんだ。

 

いっその事自分を心底嫌ってくれていたら良かった。仮面職人の社員は皆、社長であるルキノの言う事には喜んで従うし、平気で危ない橋を渡る人間ばかりだ。その好意を利用しているのに大して、罪悪感に囚われることは少なかった。が、今回の様に自分のせいで怪我を負わせたのは話が別だ。テーピングされた手首を見て益々少年の苛立ちが募り始める。ルキノは恨めしく自分の手を開いて、握り締めてみた。

 

――本当馬鹿ばっかりだ。

 

「しっかりせい、ルキノ。」

「……その名前で、呼ぶな。」

「ククッ、なんとなく呼んで欲しそうな顔をしておったぞ?」

まだまだ子供じゃなとにかりと口の端を上げ笑うエイジングをよそに、ルキノは呆れるしかなく、顔を伏せる。

 

 

 

 

――やっぱりお前なんかと出会わなければ良かったんだ、僕は。

 

決まりごとのようにある言葉だけを反復しながら。

 

 

 

 

 

 

 

 


 

社長が吐いたあとは、必ずタイミングを図った様にエイジングが面倒見てたら良い。

 

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