まどろみたゆたう水の様に

 

 

 

 

 




 

 

女の方が男より早起きしなくてはならないものなのよ――と誰か一人の女性が呟いた。

 

 

 

少なくとも『一般の少女』とは掛け離れた幼少時代を過ごしたシャーネにとっては理解し難い思想だった。父以外にあまり男と関わる機会もなかったのだから至極当然にそう思う。
普通の女であれば誰しも愛する男の為に尽くすのだろうか。たまたま付けたラジオのナレーションが繰り返す女と男のすれ違い。起き抜けにそれを耳にして、シャーネは考えた。もしかしたら自分は随分と女らしくないのかもしれないと。

 

 

鋭きナイフを恐れなく携え、

秘めたる闘志を奮い立たせ、

父を助け出す。

何を傷つけても

何を引き換えにしても

何を失っても

父を救う事。

 

 

それだけが私の全てなのだ。

 


血迷った事を思う私は必要ない。自分自身に生じた迷いをシャーネは叱咤した。例えば如何に自分とどこかの女性を並べたとして、この異質さは消える訳がない。声が紡げないのは勿論、誰の目から見ても浮き世離れた雰囲気が伺える姿。直せる余地等ないくらいに。過去をやり直そうともシャーネ自身も思ってはいなかった。

 


ふと側の毛布にくるまった赤毛の青年を眺めた。夕焼けにも似た真紅色の髪、日に焼けた健康的な肌、その全てが彼を表す記号だった。 青年の表情は安心しきったまま眠りについており、どこか実年齢より幼さを感じさせた。シャーネにとって父に匹敵するくらいその青年は大切だった。
だが、失ってしまうという不安は少しも彼女の中に存在しない。有り得ないと知っている。
何故なら、青年は自ずから普通の人間ではないと「線路の線をなぞる者」と名乗った。血塗られ過ぎた列車の上で。誰よりも圧倒的な強さでその存在を現実にし、シャーネの目前に立ちはだかった。

何もかも揺るがす彼の存在は恐怖そのもので。シャーネは今になって漸く理解した。
自分の世界を壊し兼ねない人間だから、怖くて仕方なくて結果その存在を消してしまおうとしたのだ。彼女の異質さに臆することなく誓いを立てたのもその青年だけだったのだが、父だけを信じるシャーネには関係なかった。けれど、シャーネは父以外の人から自分を受け入れてもらえた喜びを知ってしまった。
自らに生まれでた感情は、たゆたう水のように心地よく温かいものだと。

――そう、今更戻れないから。

今は既に青年――クレアの側にいる事が何よりの事実だ。彼やジャグジーとその仲間達を受け入れることに抵抗がなかったと言えば、嘘になるだろう。何せクレアとの出会いは人として、普通とは言えなかったのだ。 そこまで思い至って、毛布とブランケットを首までシャーネは引き寄せた。
再びベットの中に舞い戻る。止めよう。過ぎさったことを考えるのは。彼女一人にしては余りある広い高級ベッドだったが、クレアという男が居れば話は別だ。途端に二人分の広さもないベッドは窮屈になってしまう。シャーネは、青年を少し押し退けようと顔と身体を擦り寄せた。それによって、さすがに当の本人も目を覚ます。

 

「シャーネ……寒いのか?」

 

クレアが眠い目を擦りながら、名を呼んだ。寒い訳ではなかったのでシャーネは直ぐさま軽く首を振る。しがみつく様子にクレアの表情は自然と柔らかくなり、穏やかな顔になった。

――なんか珍しいな、オイ。

 

覚醒し始めた頭で普段より積極的に自分に歩みよるシャーネを見てクレアは嬉しさに満ち溢れた。理由もなく顔が綻ぶ。日常生活では断然青年の方が関わろうとする場面が多かったからだ。傍から見ても彼女は、他人に極力関わり合いたくない。誰かに助けてもらう必要もない。と他人には見えていたのだろう。こんなにも彼女は感受性に溢れているというのに誰も知ろうとしなかったのだ。

――ま、そこいらの器の小さい男じゃあるまいし。

 

俺が気にするまでない些細な事だ。妙な自信がクレアにはあった。

 

「俺、まだねみぃからさ。このまま寝るわ。」

 

え。という驚きの表情がシャーネの顔に浮かび上がる。クレアの方はしっかりと彼女の腰を引き寄せており、二度寝する気らしい。その瞼が再び閉じられてしまうのも時間の問題だろう。どうにか起きて欲しいと思ったシャーネはその頬を軽く摘んだ。そのまま横に動かす。だらしない表情のままになっていた頬が伸びる。

「……。」

 

やや間があって青年が反応を返す。

 

「にゃんだ。ひゃーね。俺なぁんか、すげー痛いんだけど?」

――これも愛情表現なのか?

寝ぼけたまま答えていると、何か柔らかなものが男の呼吸を遮った。

 

――……?

 

突然のことにクレアの脳は反応を拒否した。唇は温かい何かで押さえ付けられている。柔らかなそれは彼女の唇だった。啄む様にされた口付けは確実に脳内を麻痺させる。

 

「シャーネ。」

「……。……っ!――」

 

あまりに己のした行為が恥ずかしいのか、気付けば耳を赤く染めてシャーネは必死に顔を逸らした。クレアは唖然と彼女を見つめるだけだ。

「っ……っ!!」

 

急に力強く掴まれた両腕にシャーネは驚く。怯えた訳ではないのに言葉は出なかった。クレアはその様子を見て、しまった!と思ったが遅かった。彼女の眼が何か伝えようとしていることは分かっていたのだ。しかし、止めるには何もかも遅かった。衝動のままに彼女を引き寄せる。

 

「そんな事されたら俺、止まんなくなるから。気をつけて。」


―― 一体、何に気を付けるべきなの?

 

 

問い返す暇もなくシャーネは目の前の男に開き掛けた口を塞がれしまった。


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

たまにはシャーネが積極的になるとクレアも大暴走というループ。

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